バウハウスの精神を現代に引き継ぐ家具ブランド・TECTA(テクタ)社。その創始者であり現オーナーのアクセル・ブロホイザー氏がフランスの巨匠 ジャン・プルーヴェと親交を深め協業していた際に、強く影響を受けた言葉があるという。
“素材が何を考えているかを、考えなさい”。
その言葉の意味は、「デザインにおいて、木、金属、革、あらゆる素材のベストパフォーマンスを引き出す為に、どのようにそれらを扱うべきか考え、感じ取ることが重要だ」ということだ。
素晴らしい例のひとつが、TECTA社が特許を持つ「チューブ・アプラティ」という技術ではないだろうか。
バウハウスが生み出したスチールチューブを用いたカンチレバー構造という片持ち構造の椅子は、後ろ方向への極端な荷重に弱いという欠点を持つ。
ジャン・プルーヴェとアクセル・ブロホイザーは、このスチールチューブという素材が何を考えているかをともに考え、「チューブ・アプラティ」という技術を生み出すことで、耐久性を格段に高めることに成功した。
何かフレームを足すのでもなく、スチールチューブの厚みを増すのでもなく、コーナー部分のスチールチューブを縦に少しだけ潰すという極限的にミニマルな加工によってこの強度課題を解決に導いたのである。潰れたスチールチューブの角は、デザイン性を下げるどころか全体にシャープな印象を与えている。
もしも「スチールチューブが何を考えているか」を考え、感じ取ることが出来なかったならば、
安易な補強案でデザインを台無しにしたり、または、具現化を諦めなければならなかったかもしれない。
ジャン・プルーヴェと出会い、このチューブ・アプラティを開発したからこそ、TECTA社は数多くの美しいカンチレバーチェアを世に送り出すことが出来たのだ。
そして、美しいカンチレバーチェアの最たる例は、マルセル・ブロイヤーが1931年代にデザインしたF40というソファだろう。ソファはチェアよりも自重が重い為に製造が難しく、その時代に実際に市場に出回ることはなかった。しかしTECTA社がチューブ・アプラティを開発したことでこの強度問題が解決され、1982年、F40は50年の時を経て、ようやく製品化に成功したのである。(しかし皮肉にも、マルセル・ブロイヤーは1981年に他界。実物を見ることは叶わなかったようだ)
“スチールチューブを少し潰すだけ“。
単純なアイディアだが、デザインへの貢献度は計り知れない。
バウハウスのデザイン思想を正確に継承する数少ない家具メーカー。 テクタ社を哲学的に経営する人物、アクセル・ブロッホイザー氏は東ドイツの出身であり、東西冷戦時代の亡命者である。彼がまだ東ドイツにいた26歳のある日、バウハウス時代にペーター・ケラーがデザインした一枚の家具スケッチに出会い衝撃を受ける。彼は心からバウハウス・デザインの奥深さに魅了され、強烈にそれらの作品を作ってみたいという衝動に駆られた。しかし、社会主義体制下の当時の東ドイツ政府は、バウハウスの思想を危険な個人主義と見なしており、ブロッホイザー親子も例にもれず弾圧を加えられ、ついには父が経営する社員300名の工場まで没収された。 そして1972年、トランクひとつで父親とともに西側への亡命。苦難の末、ローエンホルデというドイツ中部の田舎町に辿り着き、念願のバウハウスの家具を製作するに至る。生涯を掛けてバウハウスを追い求め続けるブロッホイザー氏の会話には、「アート(芸術)とテクニック(技術)の融合」という言葉が幾度となく繰り返され、バウハウスのデザイン教育の原点を強く感じる事ができる。 現在も、バウハウスの造形哲学は、彼の頭の中で進化し続けている。